Close
閉じる

News&Topics

「あなたの隣人」中学1年C組担任(社会科)

投稿日2025/10/20

2学期中間試験が終わり、校舎の周りには金木犀の香りが漂い、秋の始まりをそっと告げています。

聖書(ルカ福音書10章)に「善いサマリア人」のたとえ話があります。

「私の隣人とは誰ですか?」という律法学者の質問に対し、イエスは「善いサマリア人」のたとえ話を通してお答えになりました。
このたとえ話は、ある人が山道で盗賊に襲われ瀕死の状態にあるところを見た祭祀やレビ人は無視して通り過ぎたのに、サマリア人の人は丁寧に介護したという話です。
「この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣人になったと思うか?」とイエスは問います。が、それはもちろん丁寧に介護したサマリア人ですよね。
このたとえ話を聞いた律法学者も「その人を助けた人です。」とサマリア人という名前を出さずに答えます。そしてイエスは、「あなたも同じようにしなさい。」と言うのです。
律法学者がそれをどう受け止め、その後どのように生き方に活かしたのか、聖書では触れていません。
しかし、このやり取りの中に『神様』がどういう方で、また私たちに何を願っているのか? 皆さんには、イエスのメッセージを受けとり、考えてほしいのです。

この聖書箇所のテーマは『愛』です。
この質問を投げかけた律法学者も、人が神に喜ばれ、受け入れられるために必要なことは『愛』だということは知っていました。つまり「神を愛し」、「隣人を愛する」ことです。

『愛』とは、自分の都合を第一に優先するのではなく、他人の痛みに共感して、その必要に犠牲を払って応えていくことなのではないでしょうか。

ここで注目したいのは、『誰が隣人なのか?』ではなく、『誰が隣人になったのか?』ということです。
イエスが示しているのは、家族や友人など、愛する特定の隣人がいるかどうかということではなく、助けを必要としている人がいたら誰にでも、隣人になるべきだということ。いつも自分の隣にいる人だけが隣人ではないということです。
つまり、「困っている人がいたら誰であっても、その人の隣人になりなさい。敵をも愛しなさい。」と言われたのです。それが、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということの真意なのです。

皆さんは学校生活、それだけでなく登下校中での立ち振る舞いはどうでしょうか。マナー・周りの状況に対する心配り、そして助けを必要としている人に気づく視線。私たちは困っている人に目を向けることができているでしょうか。苦しんでいる人の目を見ようと視線を合わせているでしょうか。それとも、目をそらしているでしょうか。

この機会に、ふと考えてみてほしいのです。
あなたは誰かの隣人になろうとしていますか?
誰があなたの隣人になってくれていますか?